ときはすぎゆく
一つの心から 言葉たよりに
朗読1
「デミアン」のはしがきの朗読。本は、新潮文庫の高橋健二訳を使用した。

読書には声に出して読んだり、聞いたりする楽しみもある。前々から朗読をアップしたいと思っていたけど、このたびようやく環境が整ったのでアップさせていただく。
下手くそさには赤面する他ないし、音質も若干低いと思う。でも、肉声で読む必要性は、こういったことを考えても、あると考えている。特に、文学が頭の中だけのものと、本当に無理解としかいえない評価を受けるときは悲しい。言葉によって対話を目指すのなら、そこには退屈も無理解も自己満足もないはずだ。それに対するわたしなりの一つの挑戦として、朗読をしてみた。限られた時間の中という、いいわけはしたくないが、それでも自分の今の実力のなかで頑張った。
多過ぎる欠点に目をつむっていただくことにはなるが、よきにせよあしきにせよ、それが言葉と本についての、誰かの心の中での一つの問題提起になれば嬉しい。

http://blog-imgs-106.fc2.com/m/u/u/muuya/
20170625202103eb5.mp3
スポンサーサイト
永遠の別れ
死というものが、誰の生にも含まれてる

周囲の人々が心の準備をしていようが、そうでなかろうが、そのこととは関係なく、ある日肉体の死によって不可逆的に天にめされる

そのとき本人にどんな世界が見えていても、わたしたちの目にうつるのは、故人とのつながりをたたれた、遺族のこころだけ

何にせよ笑顔でさよならしたい

死者を前にして、まだ一人前にならない子どものことも、あなたを頼りにしていた人々のことも、本気で信じていた夢のことも、後は何にも心配はいらないと、そう言ってあげたい

今を一生懸命生きるということが、思い出させてくれる
死とおなじだけ、いのちは重いんだということを

死あればまた新たな芽吹きもあり、後進への思いやりもまた死を思い、自分よりも大きな価値を思えばのこと

あるのはただ、いつ死んでもおかしくはない生、何度も何度も、死の可能性のたび、生かされてきた、わたしたちのいのち

そのいのちが、ただやりたい放題にやるのではなくて、やらされるのでもなくて、数えきれない対話を経て、貴重なななかをうみだしてきた

最先端の言葉、大きな流れから何かをかりて

死とつながる時間と空間がいのちに開かれ、その前でこそ人は対等に向かい合うことができる

対話ってもの。まるで深海で一人もがくように、苦しい

岸辺で人々が笑ってる、自分のようにもみえる人々

それでもなぜわたしは?そんな偉いもんじゃない

ただ自分が弱いからこうしていたい、この日々に感謝できるから





拙者、修行中の身。
何が悲しいって、心ない言葉が悲しい

実家に行くと毎回のように言われる

彼女はまだか?

どんな気持ちか分かる?

そして紹介しようか、とも

どんな気持ちか分かる?

最初言われたとき、言葉がでなかった

プルプルふるえた

どこにでもあるような、お家の中の会話?

というか、それって会話?

笑いながら石投げられてるみたい

私にとってはそれが日常

そこに舞い戻っていかなくてはならない

だから私が年寄りみたいな知恵を知ってても全然不思議ではないわけ

反抗期なんてのは安心できる家庭があるからこそ、享受できる特権のようなものだ

聖書にも書いてあったが、他人の家に厄介になることは人間にとってとてもつらいこと

どれだけ惨めであっても、本人が望んでいることじゃない

そして、そのことがさらに厄介なことには、階段を上るのがスムーズにいきづらい

その上、運命は私に試練を与えた

私の家系は、父方も母方もどちらも、体こそ丈夫で運動神経がいい人もいることはいるが、どちらかというと文化系や職人の気質で、繊細で細かなことに気が付くことができる人が多いのであるが私の周りの人は全く異質の人々なのであった

私は、あまりに外に自分の言葉が届かないから、芸術を覚えるまで自分が自分でないような気持ちで生きていた

つらいどころではない、つらいという気持ちが伝わることが、私には想像できなかった

過去は変えられない、だが、今は選べる

意味を見つけ、生きることを選んだから、全力で生きる

自分で決めた

まだまだ、まだまだ、心が脆い

こんなやつだから、誰かの心を守れる強い人になりたい

怒りも悲しみも心が未熟な証拠

誰にもこの気持ちを味わってほしくないから自分が強くなる

拙者、思い描く自分になるため只今修行中の身。





家族の問題
家族の問題

それは、自分ではどうしようもないことだから厄介だ

家族、私はそれを問いたい

みんなそれぞれが救われて、もう一度家族になることってできないのか

私は家族に苦しみ、家族に助けられてる

それを望みもせず

普通の家族を知らないから何にも言えないんだ

どのような形かいつか家族がほしい

笑顔が似合う家族になりたい


堂々と
堂々としていいんじゃないかな

自分がやりたいことあるってことは

関係のない噂話や悪口に時間を費やすより、よほど誇らしいこと

嫌でも年はとっていく、誰も避けられないことだけど

どんな風に年をとるかは、自分しだいでしかないんだな

小さくともその一歩を踏み出す人は、誰かを笑顔に出来るし

また、その人の言動はもしかすると誰かの支えにさえなっているのかもしれない


Copyright © 2017 ときはすぎゆく. all rights reserved.