ここに居ていい
楽しいときも苦しいときも、居場所探して
死をも超えて?
死をも越えて、成り立つ関係があるというの?

互いにこの世で死んでいるのに

死をも越えて、得られる安逸があるというの?

自分のせいで傷ついた人がいるというのに

死をも越えて、それでも流れる涙があるというの?

自分の顔がこんなにも遠く悲しく青ざめていても

たとえ、とてつもなく重い苦しみ抱えていたとしても

一人の信じられる愛があるということ、居場所があるということ、分かち合えるということ

何よりも誰かなんじゃなくその人を信じていいということ

それが他の人生のどんな楽しみにも増して

本当に大切なものであるということ

それが、見失ってはならない、私のみちしるべ
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酒を飲みました
酒を飲みました

たらふくたらふく飲みました

酒を飲むのを求められていると思って

飲んで飲んで、自分勝手に振る舞う私は

皆に苦笑され、迷惑がられていることを感じました

調子に乗って歌を何曲か口ずさんだのは

なんか粋だと感じたのでしょう

目が覚め、酔いが覚めたとき

死んでしまいたいほど恥ずかしくなり

さっと血の気が引きました

何もかも不安のない状態など

求めたのが間違いでした

この先わたしはどうなってしまうのか

今、自分が試されているのだと感じています
自由と
わたしが苦しくなるのは、自由を共有できる人がいないからだ

もちろん、わたしは大切な人に囲まれて生きている

でも、残念なことに、わたしはごく幼い頃に、極めて例外的な体験を経てしまった(簡単に言えば片親を失った)

このことについて、見ないふりをすることはたやすい

魂の領域での辱しめをたえて生きていけば良い

あざ笑う人々の心ない言葉にたえて生きていけば良い

そこでは、わたしはもはや人間というより、生物という方が的確かもしれない

人格は否定され、天然ボケと大抵の人は言う

本当ならそこで、戦わねばならない

でも、人って自分のなかで何かが壊れたときから

なんとでもどうぞって気持ちになる

あえて道化を演じてやろうって気持ちになる

過去は過去

過去と決別したくて、自分と向き合った

わたしはいま、自由を共有できる人がいない

無邪気にじゃれ合える友人、夜通しツインピークスの謎

について語り合える友人、そういう人間関係が

今のわたしには必要だと思う

わざと、自虐的に書いてたくさんの人に受け入れられようとするのも否定はしない(特定の誰かのことを書いているわけではないので悪しからず)が

姑息な手段を使ったとしても、自分にとっては、さらに苦しみを重くするだけ

だから、ストレート勝負。わたしに選択肢はない

ま、それはいいとして

わたしはこれからさらに積極的に生きる

旧約聖書で、神はロトに言われた

振り返るな、と

わたしだって同じだ

前へ、前へ…

わたしは、自分を信じる





文通する気持ち
文通する人がいる人は幸せだと思う

当然のことながら私と文通してくれる人はいない

だけど、文に懸けてる人間は、言葉のやりとりがないと気分的に参ってくる

わたしはそれにたえられるほど強い人間ではない

それで、仕方なく自分のことをこうして綴る

だから、気持ちとしては文通しているつもりなのであります
身内の憎しみ
身内の憎しみは、物と心の対立によってひきおこされることが多々ある

「対立するのは価値観で、いま対立している価値観がどういう点で対立するのか」

冷静に話し合えるだけの態度さえあれば

人間はどれだけ幸せに近づくだろう

身内と道理が対立するんじゃなくって

道理の下に集うという考え方を持たなければ

何年経とうとも、人間はずっと同じことを繰り返す